「電子書籍」という言葉の呪縛から逃れ、自由な発想で本や出版の未来を考えよう ── JEPAセミナーレポート

仲俣暁生氏

一般社団法人日本電子出版協会(JEPA)は昨年11月7日に行ったセミナー「電子の黒船は来たけれど、なかなか文明開化しない出版市場」のレポートです。「マガジン航」の編集人である仲俣暁生氏がWIREDへ寄稿した「さようなら、『電子書籍』」というショッキングなタイトルの記事の背景と真意、そして、今後どこに希望を見出すべきかを「出版」に関わる全ての人に訴えかける内容でした。

なお、諸事情により公開が1年越しになってしまったことをお詫びします。以下の文体は常体となります。1万2000字くらいあります。

「さようなら、『電子書籍』」を書いたわけ

「コンテンツ緊急電子化事業(緊デジ)」は経済産業省による総額20億円の補助金事業だが、仲俣氏はこの審査委員を務めていた。審査委員の役割は対象作品1つ1つをチェックすることではなく、ガイドラインを示すこと。誰にとって価値があるのかを第三者が決めることはできないから、「どんな本を電子化すべきか」と決めるのは傲慢なことだという考えに基づく。

ただ、「この事業でこんなタイトルを電子化しました」という、きちっとした結果報告をする義務はあると考えていた。ところが、緊デジから6月3日に公開されたタイトル一覧(※Internet Archive)は、PDFでタイトルがずらっと記載されているだけ。ISBNはおろか出版社や著者名すら載っていない。巻数すらわからないものまである。審査委員にも、事前の連絡や確認は一切ない。さすがにこれは酷いと、がっかりするとともに怒りを覚えたそうだ。

それにも関わらず、周囲から「仲俣さんたちが審査員をやっていて、なんであんな本が電子化されちゃったの?」と問われることが多かったという。そこへWIREDから「緊デジの批判記事を書いて欲しい」という打診があったので、審査委員の立場をちゃんと説明しておくべきだと思ったこと。そして、「電子書籍」に関する議論は「出版社」や「プラットフォーム」を「黒船からどう守る?」という話が中心で作家と読者という視点が欠けていると感じていたことが、あの記事を書いた理由だと語った。

なお、タイトルは高橋源一郎氏の書いたの「さようなら、ギャングたち」という本のタイトルをリスペクトしている。「電子書籍」とカギカッコを付けた理由は、まだ広く一般の方が口にする言葉ではなく、まだ単なる業界用語・官製用語であること。「電子書籍」という言葉が、思考の罠に陥る元凶になっているという思いからとのことだ。

「電子書籍」という不幸な言葉

では、いつ頃から「電子書籍」という言葉が使われるようになったか? と思い、国立国会図書館で検索をしてみると、一般向けには1998年に書かれた「電子書籍コンソーシアム」についてのリーク記事が最初だったという。そしてなんと、その記事を依頼した編集者は仲俣氏だったそうだ。

「電子書籍コンソーシアム」そのものは、2000年1月末日で終了しているにも関わらず、いまでも当時の記録がウェブ上に残っており、非常にフェアだと評価する。ただ、この事業の名前が「電子書籍コンソーシアム」だったことが、今日まで至るさまざまな停滞や議論のズレの原因になっているのではないかと問いかける。

「電子書籍」の特徴は、すでに紙の本で発行されたものの電子化が主体になっており、大手出版社や日本雑誌協会といった団体での議論の中から出てきたものだという。「電子書籍」を出版社から見るとそうなのかもしれないが、一歩引いてみれば実態は「Web」だと指摘する。

つまり、本来はWebを排除して考えることはできないというのだ。仲俣氏は、1994年に創刊されたWIRED(1998年に休刊)の創刊メンバーの一人だが、当時Webという新しいメディアに対する興奮と期待と、「電子書籍」は違う方向へ進んでしまっているように感じるという。

出版社にとっての「電子書籍元年」

「電子書籍元年」は、一般的にはiPadが発売された2010年だろう。しかし、出版社にとっては、「Google Book Search」訴訟がクラス・アクション(集団訴訟)だったことから、いきなり和解案から離脱するかどうかの当事者になってしまった2009年だという。

仲俣氏は、Google、Amazon、Appleなどを幕末の黒船来襲になぞらえるのは、それほど悪くない比喩だと考えている。日本の閉鎖的な出版市場に対し、IT企業という立場からの問題提起を突きつけられ、もしかしたら市場の多くが持っていかれてしまうのではないかという不安や危機感を、幕末の開国要求に例えているわけだ。

しかし、日本の近代は黒船来襲による緊張感の中で生まれたイノベーションなのに対し、現代の黒船来襲は「尊皇攘夷」で止まっているのではないか? と指摘する。つまり、幕藩体制を守るために動いている人が多く、反革命としての「電子書籍」になってしまっている。

変化をもたらすものではなく、変化を遅らせたい人が使う言葉になってしまっているというのだ。そもそも、紙の本を読まないインターネット世代に「電子書籍」という問題設定は届かないのではないか? と疑問を呈する。

ところが、「電子出版」の歴史は、CD-ROMメディアが登場した1980年代まで遡ることができるという。Webも本のメタファーだ。「bookmark」や「Browse」といった言葉は、すべて書物に関連している。

電子メディアと紙の本の関係は既に親しいものになっているのに、そこへ「電子書籍」を重ねることでさまざまないろんなものが見えなくなっている。であればとしたら、「電子書籍元年」以前に何があったかを思い起こす必要があると述べる。

「電子書籍元年」以前に何があったか?

1999年に出版された小田光雄氏の「出版社と書店はいかにして消えていくか――近代出版流通システムの終焉」は、仲俣氏にとって非常に衝撃的だったそうだ。これは、日本の出版業界が「黒船」が来る以前前(Amazonの日本上陸は2000年)の1996年からずっと右肩下がりであるになっている原因を、ほぼ明らかにしている本だと紹介した。

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世界に冠する日本型出版流通システムが成功し過ぎたがゆえに、改革しづらい「イノベーションのジレンマ」を起こしていると警鐘を鳴らしたもので、ロードサイドビジネス、フランチャイズによる新古書ビジネス、再販価格維持制度など、当時から既にさまざまな問題提起がなされている本だ。

この本を読んだ当時、仲俣氏は「本とコンピュータ」という雑誌の編集部にいたのだが、「この先、出版業界で仕事をしていくのは難しいのではないか?」と感じたという。ただ、出版業界が厳しくなっていく中で仲俣氏が「嫌だな」と思ったのは、それは別に日本に限った話ではないという点だという。

アメリカでもBordersやBarnes & Nobleといった巨大書店チェーンが登場して、中小書店が潰れていき、さらにAmazonの台頭でBordersが経営破綻するといった弱肉強食現象が起きている。日本でもそれを真似てジュンク堂書店が登場したわけだが、恐らく、同じような変化ことは先進国のどこでも起きていたことだ。

もちろん取次システムや商習慣の違いはあるにしても、世界中で似たような状況が起きている中で、日本では誰が何を考え、どういう新しいことをやったのか? が問われるというのだ。

「電子書籍」以前に、「ネット通販書店」で敗北している

ネッツ通販書店としてのAmazonは、2000年に日本へ上陸している。対抗して日の丸書店の「ビーケーワン」ができ、「ビー・オー・エル・ジャパン」も上陸して三つ巴になったが、どちらもAmazonには太刀打ちできなかった。

業界関係者は、それにもっとショックを受けるべきだったという。紙の本のネット通販を日本人は受け入れ、とくに中小出版社にはAmazonで売れることが命綱になっている。近代出版流通システムを超えるものとして、「電子書籍」の前にネット通販があるわけだ。

では、Amazonとのライバル企業は、どれだけ本気で取り組んできたのか。そこにどれだけのアイデアと資金と人材が投下されたのか。イノベーションは起こせたのか。そもそもWebという新しいテクノロジーを、どう考えてきたのか。

そういう意味で、Amazonという企業の底力と、ここまで育て上げてきたジェフ・ベゾスという経営者の凄さと恐ろしさを思い知るという。余談だが、仲俣氏とジェフ・ベゾスは同い年だそうだ。

テクノロジーと出版の関係を、出版業界の人は考えていなかった

「2005年までに、すべての本にICタグを付ける」という計画が出版業界で大きな話題になっていたころ、仲俣氏はそれに反対して「本とコンピューター」で問題点を指摘する記事を書いた。すると、大日本印刷の方に呼び出され、問い詰められたという。

プライバシーの問題などを説明したところ、「そういう話は一度も出版業界から出てこなかった」と言われたそうだ。つまりそれは、テクノロジーと出版の関係を、出版業界の人があまり深く考えてなかったということ。ICタグは、万引き防止程度にしか考えられていなかったのだ。

当時から仲俣氏には、「ネット書店」や「ICタグ」の失敗を、「電子書籍」でも繰り返すのではないかという不安があったという。実際、2004年の「電子書籍元年」では、「LIBRIe」や「Σブック」が大失敗している。

そして直後にAmazonが「Kindle」を出し、大成功している。そういった経緯を見ていると、技術やプラットフォームだけで「電子書籍」を語るというのは、何か大切なことを見落としているように感じるという。

出版とWebとの関係性

仲俣氏は、2005年に「本とコンピューター」が休刊になったあと、ひたすら「はてなダイアリー」でブログを書いていた。当時、フリーのライターや編集者が、世間に何か訴えかけたいことがあるとき、はてなダイアリーは非常にいい場所で、さまざまな論客が活発な議論をしていたそうだ。当時書いていたことはWeb上からは削除してしまったが、「はてなダイアリーブック」というサービスを使い、紙の本として記録に残している。

そのころ読んだ濱野智史氏の「アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか」という本は刺激になったという。これは、Web上のさまざまなサービスの流行り廃りを考える上で、「コンテンツ」を見るのではなく、その下部構造である「アーキテクチャ」を見る必要があるという意見だ。

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Webの世界は「コンテンツ」と「アーキテクチャ」を分けて考えやすいが、紙の出版ではその構図が見えづらい。Webと同じように、出版のアーキテクチャについて考えなければならないと感じたという。

当時、出版業界は、出版における著作隣接権の「版面権」を主張し、日本経団連から猛反対され挫折している。当時の版面権は、「電子書籍」とは関係なく議論されている。いまは「電子出版権」が議論になっているが、いつまで同じような議論をしているのか? と感じられるという。

出版社からすれば重要な話なのかもしれないが、著者と読者の立場からは理解を得にくい。ただ、こうした議論が2005年当時から「電子書籍」とは無関係に議論されてきたのであれば、Webとの関係性で考えるしかないという。

2008年に、水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」という本が話題になった。Amazonで瞬間的に1位になったことを、新聞広告のキャッチコピーとして使うという手法が用いられた本だ。

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ブロガーに本を献本し、書評から議論が起こり、多くの人に興味を持たれることで本が売れる。当時、Webと出版の関係性は非常に近くて熱量やリアリティを感じられたのに、「電子書籍」ではいまだに溝が感じられるという。

著者と出版の関係性を再構築する機会になるという期待

仲俣氏は著者としても何冊か本を出しているが、本の定価をいくらにするとか、印税率を何%にするとか、印刷部数をどうするかを決定するプロセスに、著者が全く関われないことに対する不満があるという。

本を出すまでは編集者が好意的に「これなら定価高めに設定できますね」とか「初版××部でいきましょう」と言ってくれるのに、いざ出てみたら定価は低く抑えられ部数も少なくなってしまう。

「電子書籍」は、こうした著者と出版社の関係性を再構築する機会になるのではという期待をしていたそうだ。これまでのように、本を出してから契約書が送られてくるのではなく、本を出す前に印税率や印刷部数をどうするかを本気で議論すべきだと語る。

「さようなら、『電子書籍』」は、「電子書籍なんかもうダメだ」という意味ではなく、もうマーケットに任せていいから、電子書籍の在り方について議論しなくてもいいという意味だ。

紙の本と同じように、中身で勝負すればいいし、現実の商売の中でしのぎを削ればいい。公的なお金が投下されるとかされないとか、そういう議論にはもう飽きたという。

希望はどこに見出すべきか

今後、電子書籍市場が大きくなっていったとしても、「紙の本がなくなるかどうか?」を議論する必要はない。「電子書籍が紙を駆逐するかどうか」という話をするのは、新聞社か、新聞社をやめた人たちばかり。

出版というのは、誰からも頼まれず勝手に出すものなのだから、紙の本を残したいのであれば、そうアクションすればいいだけの話。ただ、出版社の人たちはあまりにもWebを意識してこなかったし、知らなすぎる。とくに40代以上の人に、それは顕著だそうだ。

出版業界が本当にダメなら、いまどき出版社や書店を新しく作ろうとする人は出てこない。ところが、下北沢に新しくできた書店「B&B」のように、今までとは違った形でこの業界に参入して成功している人たちもいる。

出版というのはもともとスモールビジネスであり、それほど自己資金がなくても立ち上げることはできる。大儲けしようと思うと大変だが、ソーシャルメディアなどを身近なツールとして自然に扱うことができる人にはチャンスがあるのではないかという。

今後、出版業界全体としてはスケールが小さくなっていくことは間違いないが、出版そのものが事業として持続不可能な形になってしまうことはない。問題は、30代の若者が電子出版社を立ち上げたとか、電子書店を立ち上げたというような、新規参入がまだあまり見られないことだと語る。

DTPとHTMLが出会ってeBookが生まれた

PostScriptが生み出したDTPによって、大きな設備がなくてもプリプレスの段階までは本や雑誌が作れるようになったのは、仲俣氏にとって「電子出版革命」だったという。また、ティム・バーナーズ=リーが生み出したWorld Wide WebやHTMLによって、ネット上のコンテンツが書式が統一されるようになったことは、いまでは当たり前のように感じられるけど本当は凄いこと。もしティム・バーナーズ=リーが特許や使用料を主張していたら、いまごろWebはどうなっていただろうとよく考えるそうだ。

DTPとHTMLが出会うことで、EPUBが生まれた。これは、ネット上で構造化とページネーションを持ったコンテンツが流通するための統一規格ができたということ。ダウンロードしてもいいし、Web上に置いてもいい。いずれシームレスになり、意識されなくなる。

そうなると、サイトにログインしないと読めないコンテンツと「電子書籍」は何が違うんだという話になってくる。であれば、「電子書籍」というメタファーをとらないコンテンツ流通がもっと出てくるはずだという。だから「電子書籍」という言葉を一度外して考えてみようと提案する。

大量生産、大量消費の延長上に未来はない

橋本治氏が「浮上せよと活字は言う」という本の中で、「産業となった出版に未来を発見しても仕方がない」ということを書いている。これは、「21世紀にはベストセラーは存在しない」という仮説だったのだが、現実はごく一部のメガヒットと、大量のあまり売れない作品という状態。

ただ、「メガヒットは変だ」という意見には賛同できるという。つまり、何十万人もの人が同時に同じコンテンツを求めるというのは極めて20世紀的な現象であって、21世紀の行動としては残らないのではないかというのだ。

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「電子書籍」はメガヒットを生み出す産業として期待をされているが、大量生産、大量消費の延長上でしか構想されていないのは、つまらないと語る。「流行ってるから読む」のと全く違う読書体験を、「電子書籍」から得られるだろうか。

電子書店にいくと、どこでも買える本しか並んでいない。いま自己出版作家が書いているのは、5人の読者しか得られないけど、その5人にとって決定的なものになる本であり、出版ビジネスが「電子書籍」でどう延命していくか? という話とは次元が違う話だと指摘する。

出版業界の外を想像しよう

業界が縮小していく中で、大手出版社で高い給料を貰っている人は、自分の給料の根拠を説明するのが難しくなる。でも、死屍累々の中でもスタートアップが次々出てくるような環境であれば、その業界は健全だということ。

必要なのは、出版業界が世界の中心だと思わないこと。業界の外のことを、想像しづらくなっているのではないかと指摘する。出版業界以外の人は、神保町の駅で滅多に降りないのだ。

IT企業の寿命ということを考えると、GoogleやAmazonが未来永劫続くこともあり得ない。100年後にAmazonがKindleを売っていることはないだろうけど、創業100年という出版社はたくさんある。

裏を返せば、100年の蓄積を出版業界の人は持っているということでもある。だから、紙の本と電子の本の比較なんて、やめようよと提案する。

「生存戦略」は?

個人の生存戦略ということを考えると、仲俣氏はフリーランスなので、誰かが発注してくれないと仕事がないという立場。毎年確定申告するたびに、出版社から入ってくるお金が少なくなっている。とてもそれだけで、一人の人間が家族を養っていける額ではない。社外の人間に手厚く支払っていくような仕組みは、出版社にはもう期待できないと考えているそうだ。

活路は、異分野とのコラボレーションではないかという。「本が読める」とか「漢字をよく知っている」という能力は、出版業界にいると安く買い叩かれてしまう。例えばIT企業の中で、文字校正ができるとか、情報の裏をとる癖を持っている人というのは価値を持つかもしれない。

逆に、出版社にとってもIT技術者が価値を持つだろうし、そこで新しい職種や職能が生み出されるかもしれない。異なる能力を持つ人とのコラボレーションを、もっと広めていくべきだという。

地域コミュニティにおける編集者

いま、コミュニティを再生していく上で、メディアが何ができるかということが求められている。「みなさんの中に編集者の方はいらっしゃいますか?」と問われた時に、手を挙げられる人間でありたいと思うとともに、価値ある仕事だということを社会に説明でき、それが認められなければならないとも思うという。いまやメディアを持つことは誰でもできるわけだし、「電子書籍」は印刷機器が要らない分、さらに装置産業から遠いのだ。

大手の出版社が編集プロダクション化して、企業や大学から請け負ってムックを作っているような事例を見聞きするが、単なる受注と生産という関係ではなく、ともに価値を高めていくようなメディアづくりを提案できるのであれば、いろんな可能性がある。そういった中で、いま「電子書籍」と呼ばれているものが役に立つのであれば、コンシューマー向けとは違う景色が見えてくると語る。

WIREDに書いた「さようなら、『電子書籍』」はネガティブな意味ではなく、「電子書籍」という言葉から離れることで、いますぐ儲からないかもしれないけど、少なくとももっとワクワクして、これで何かやってみようという気持ちになれるのではないか。新しい本や出版の未来を考えてみようという提案だ、と仲俣氏は締めくくった。

余談だが、仲俣氏がセミナーの中で紹介していた本をAmazonで検索してみた(※当時)のだが、どれもまだ電子化されていない。中には、古本でしか手に入らないものもある。さまざまな事情はあるにせよ、せっかく良書として紹介され興味を持ったというのに、読者が読みたい手段で読むことができない現状に、筆者はやはり寂しさを感じる。

(※なお、電子化されていない状況は、1年経った今でも変わっていない)

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