ステマ騒動に対する違和感

『食べログ』の”やらせ投稿”発覚に端を発し、『やらおん』や『はちま起稿』などの2ちゃんねるまとめブログに飛び火して炎上、あちこちに延焼している”ステマ騒動”ですが、ボクは批判している側にも、擁護している側にも、何か変だな?という違和感を感じていました。

ジャンクハンター吉田氏「ステマ騒動」について語る – Togetter

http://togetter.com/li/242120

このまとめを読んで、ボクが何に違和感を感じていたのかが明確になりました。何に対しても「ステマ」を連呼する批判側もおかしいし、擁護側が考えている「どこまでなら許されるのか」という線引きもおかしいのです。

ジャンクハンター吉田さんの憤りも判るんです。ただの広告・宣伝や本当の口コミに対してまで「ステマ」を連呼するのは、判ってやってるんだったらただ面白がって遊んでいるだけでしょうからね。Twitter や Google+ を見ていると、そもそも”ステマ”が”ステルスマーケティング”の略だということすら知らない人もまだ大勢いるようですし、連呼している人たちにはこれを機に流行語にしてしまおうというような意識もあるのかもしれません。

以前書いたエントリーで、炎上マーケティングに乗らないようにするには”無視すること”と、”とにかく疑ってかかること”という対処策を挙げました。何にでも「ステマ」を連呼するというのは、ある意味”とにかく疑ってかかる”という姿勢と言えるでしょう。「疑ってるよ」ということを表明することで周囲の人も、真偽の不確かな情報を鵜呑みにしないという習性が身につくかもしれません。”ステマ連呼”には、そういった”功”の部分もあります。ただ、広告だということが明白なことにまで”ステマ”というレッテルを貼るのは愚かしいことです。

メディアタイアップというのは例えば、テレビドラマの主題歌や、テレビアニメのオープニングテーマに人気バンドの曲を使うといった話ですね。

他にも例えば、雑誌の”記事広告”というのもタイアップの一種です。

これは日経ビジネスの記事の間に挟み込まれている広告です。ただ、記事とほとんど同じような体裁になっています。読者が右上の”広告”という表示に気づかなければ、ただの記事と勘違いするかもしれません。

これに対し、記事とは体裁が全く異なる形になっている広告のことを”純広告”と呼びます。

この写真の右側のページが”純広告”です。だいたいの場合”断ち切り”という、ページの端まで印刷されていて余白のない体裁になっています。

また、雑誌の場合、ボクが知る限りでは必ず誌面のどこかに”ADindex”とか”広告索引”という記述があります。

このように、雑誌メディアの場合は読者が広告と記事を混合しないような工夫がなされているのが通常です。恐らく、景品表示法と公正取引委員会による指導によるものだと思います。

しかし、Webメディアの場合誰でも情報発信ができるので、公的機関による規制が困難になっています。それゆえ、広告なのか記事なのかを見分けることが難しい状態になっている場合が多いです。特に、バイラルマーケティング(口コミの波及を狙って仕掛ける)と、ステルスマーケティングは、恐らく判別するのは不可能に近いと思います。

だから、べた褒めしている投稿や、逆にけちょんけちょんに貶している投稿だけを見た時に、「ひょっとして対価貰ってるんじゃないの?」と感じるのは自然のことだと思います。べた褒めしている記事を見て買ってみたら大したことなかったとか、貶している記事を見て避けてたら実はとても面白いゲームだったとか、というような事例があれば疑念は確信に変わるでしょう。

その一方で、擁護・弁護する側がこういう理屈を言ってしまうのはおかしいんです。

千代丸さんの所が「ステマ」をやってたかどうかは知らないし、ボクは追求しようとも思いません。ただ一般論として、ステルスを狙って失敗したとしても”ステルスしようとした”のは事実なわけです。

“公にされている”のをステルスと呼ぶのはおかしいけど、”バレている”のを含めるのはおかしいのです。発信側としては、ステルスがバレたのは”失敗”というだけの話ですから。逆に、最初から[広告]や[PR]といった表示がなされているなら、それは”公にされている”わけですから「ステマ」と呼ぶ側がおかしいという話になります。

いいえ、「代理店が勝手にやったこと」というのは、広告依頼主の責任を免除するものではありません。代理店がプロモーションのやり方について、依頼主から許可を取らないはずがないからです。政治家が秘書に責任をなすりつけるのと同じです。

この定義は正しいと思うんですね。例えば『ファミ通』に対しメーカーが発売前のゲームをサンプルとして送ってレビューを書いてもらうのは、「ステマ」と呼んだらおかしい。ただし、サンプル以外に金銭や物品の授受があるような場合は、ステルスマーケティングでしょう。

つまりどこで線を引くかと言えば、良い投稿をする代償として金銭や物品の授受がある場合、[広告]や[PR]という表示があれば”ステルス”ではない、表示がなければ”ステルス”ということだと思います。

だから、これは際どいラインですが、倫理的には”ダウト”です。電力会社が記者を原発に呼んで、宴会を開いてお土産を渡して擁護記事を書かせていたという話がありますが、そういうのを受け取ると記事にバイアスがかかってしまうので、原発の見学には行っても宴会やお土産の類は全て断ったという記者もいるそうです。まあ、「記者会見に呼んでおいてタクシーチケットも渡さないのか!」と怒り出すような記者もいますが。

最初にも書きましたが、批判側が何に対しても「ステマ」を連呼するのはおかしい。しかし、擁護側が考えている「どこまでなら許されるのか」という線引きもおかしいのです。「お土産貰うくらいならいいでしょ」といった業界内での慣れ合いがあるから、理屈がおかしい擁護になってしまうのです。

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