「TPPと日欧EPAによる著作権保護期間延長問題」というタイトルで、出版ニュース2018年1月上中旬号に寄稿しました。ブログへ転載するにあたって、少しタイトルを変えてみました。以下、縦書き原稿を横書きに変換していますが、文体は掲載時のまま(常体)です。
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誰でも自由に利用できるインターネット電子図書館「青空文庫」は10月14日、都内で20周年記念シンポジウムを開催した。私も取材し、すでに記事として公開されている(※1)ので詳細は省くが、富田晶子氏と大久保ゆう氏の連名で読み上げられた声明文(※2)の「見上げる青空の景色が変わろうとしています」というフレーズには胸を突かれる思いであった。2013年に亡くなられた、青空文庫の呼びかけ人・富田倫生氏。彼が生前が訴え続けた著作権の保護期間延長反対に、いままさに赤信号が灯ろうとしているからだ。
著作権の保護期間は、欧米では1990年代に著作者の死後70年間へ延長されたが、日本はいまなお死後50年間のままだ。ただ、日本でも2004年ごろから、関係団体によって保護期間延長が要望されはじめ、活発な議論が行われてきた。延長賛成派と反対派が激しくぶつかり合ったのが「thinkC(著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム)」だ(※3)。
賛成派は、「保護期間延長が創作者にとって新たな創造の意欲を高める」あるいは「死後70年間が世界標準である」といった主張を。反対派は、「保護期間を延長しても創作者の意欲は高まらないし、経済的メリットも乏しい」「確かに欧米は死後70年間だが、それはベルヌ条約加盟国の3分の1に過ぎない」といった主張を行った。
そういった議論に一旦終止符が打たれた決定打は、2007年に発表された朝日新聞の丹治吉順記者による研究レポート「本の滅び方」だ(※4)。これは、『昭和物故人名録 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ)にまとめられた人のうち、その当時から41年~50年前に相当する、1957年から1966年に日本で死没した人の著書の出版状況を、生前・没後にかけて定量的に調べたものだ。
著作権法改正を議論する文化庁文化審議会著作権分科会でも「著作者の死後50年を過ぎて商用的価値がある作品はどの程度あるのか」という質問が挙がっているにも関わらず、資料が提供されずに会合が重ねられている状況に業を煮やした丹治氏が、膨大な手間をかけて調べ上げたのだ。このレポートによると、著作者の死後に出版される本は急減し、没後50年を超えてなお出版されている本は極めて少なく、例外中の例外といっていい状態であることがわかっている。
丹治氏の調査をベースに、慶応義塾大学経済学部の田中辰雄准教授(当時)がまとめた「書籍のライフサイクルの計量分析」(※5)では、保護期間延長によって著作者が得る収入増加は1~2%に過ぎないと報告された。つまり、保護期間の延長は、ごく一部の著作者にほんの少し経済的メリットがあるだけで、他の大半の著作者にとっては「忘れられた存在」になる可能性を高めるだけ、と言っても過言ではないことがわかったのだ。
これによって賛成派の声は小さくなり、一旦議論は沈静化する。ふたたび雲行きが怪しくなったのは2012年。TPP(環太平洋パートナーシップ)協定で、著作権保護期間延長や非親告罪化などが協議されている「らしい」という情報が駆け巡った。「らしい」というのは、TPP協定が秘密協議だからだ。
こんどは「thinkTPPIP(TPPの知的財産権と協議の透明化を考えるフォーラム)」(※6)が発足。国民不在の密室による国際協議によって、国内の重要な政策が決められてしまうことについて反対意見を表明。協議の透明化を訴えた。
そういった反対派の努力にも関わらず、TPP協定は著作権保護期間延長のまま妥結する。ところがここで、とんでもないミラクルが起きた。アメリカ大統領選挙で、TPP協定に反対していたドナルド・トランプ氏が当選したのだ。TPP協定の発効には、域内の実質国内総生産(GDP)合計額の85%以上を占める6カ国以上の承認が条件となっており、GDPの約60%を占めるアメリカが離脱すれば発効しないのだ。
日本政府は、アメリカの離脱によりTPPの発効が絶望的になるのがわかっているにも関わらず、「アメリカ政府に圧力をかけるため」というロジックで2016年末にTPP関連法を成立させた。ただし「施行はTPP協定発効時」という条件になっていた。2017年1月、トランプ大統領は就任直後、TPP協定から離脱するための大統領令に署名。結局、著作権の保護期間延長は、法改正まで至ったにも関わらず、TPP協定が発効しないため施行されないことになったのだ。
しかし、アメリカ抜きの「TPP11」が改めて協議されることとなった。アメリカが離脱したとはいえ、将来的にアメリカが再度協定に乗ってくる可能性もある。であれば、今後の交渉材料にするため、アメリカの強い意見で協定に入れられることになった条項を、ひとまず凍結しておこうという交渉が行われた。
そして、11月に大筋で合意された「TPP11」の凍結項目には、著作権保護期間の延長が含まれていた。協定の名称も「TPP」から「CPTPP(包括的及び先進的な環太平洋パートナーシップ協定)」に変わることになった。結局、あわてて改正された新著作権法は、棚上げされることになったのだ。反対派は、ほっと息をついた。
ところが、事態はこれで終わらなかった。2019年に発効見込みの日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)は、7月に大筋合意されていた。その際には公表されていなかった協定内容の一部が、11月2日に外務省のウェブサイトで明らかにされていたのだ。そのファクトシートには、なんと「著作権保護期間の延長(著作者の死後70年等)」と明記されていた(※7)。
大筋合意から4カ月遅れで公表する外務省のやり方には、強い批判の声が集まった。しかし、結局そのまま国会でも一切議論されることなく、12月8日に日欧EPA交渉が妥結というニュースが流れたのであった。もちろん日欧EPAも発効には国会の承認が必要なのだが、TPP関連法のときのことを思うと、通る可能性は非常に高いだろう。
こうなったらあとは、保護期間の延長によって今後ますます増えていくことが予想される、権利者不明の「孤児著作物(オーファンワークス)」対策がどの程度行われ、どの程度機能するか、だ。例えば、著作権者不明等の場合の文化庁長官による裁定制度は、徐々に改善され使いやすい制度になりつつある。「柔軟な権利制限規定」がどれだけ導入されるかも鍵となるだろう。見上げる青空の景色がどう変わるのか、今後も注視していきたい。
(※1)「青空文庫に生き続ける富田倫生氏の遺志 ~著作権保護期間延長反対に今後も関心を」窓の杜
(※2)「青空文庫の今とこれから」声明文
(※3)「thinkC(著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム)」公式サイト
(※4)丹治吉順「本の滅び方」
http://thinkcopyright.org/tanji-book.pdf
(※5)田中辰雄「書籍のライフサイクルの計量分析」
http://thinkcopyright.org/Tanaka-book.pdf
(※6)「thinkTPPIP(TPPの知的財産権と協議の透明化を考えるフォーラム)」公式サイト
(※7)「著作権は70年保護 日欧EPA、外務省4カ月遅れの公表」日本経済新聞
初出:出版ニュース1月上中旬号